一度きりの人生!輝かせたい!
せっかくの人生、有意義に過ごし実りある日々にしたいと思いませんか?
そして、人生を輝かせる方法があるのだとしたら知りたいと思いませんか?
現代の日本を生きる私たちは、実はとてもそれが叶いやすい時代を生きていると言えます。
それがどういうことかというと
- 明らかな身分制度がない
- 情報を得る媒体が沢山ある
- 世界中と繋がれる
- 世界中、どこにでも行ける移動手段がある
- 自分らしく生きる選択をしやすい環境がある
- いまだかつてないほどに女性が社会進出しやすい
という時代に生きているよ!ってことなんです。
これがどれくらい凄い時代かって、それはもう凄いです。
今までの時代の中で、これほどまでに多くの人々が情報を得たり
色んな場所に足を運べる時代はありませんでした。
そうは言っても、不自由に感じることや理不尽なことがある!!
というのも分かります。
だけど、前述したように、明らかに、今までの時代とは様相が違うことの有り難さを目一杯受け取ることで、より豊かに生きることが可能になります。
私は、今までの経験の中で『人生を輝かせるための生き方』があることに気づきました。
これについては、どんな職業の方でも、どんな立場の方でも共通して言えることだと思います。
今回は、2016年から2017年にかけての年末年始のインドへの旅で得た気づきを元にお話させていただこうと思います。
人生を輝かせる方法
まず、大前提として『今の時代に生まれたこと』が幸せなことだと感じることが大切です。
私たちは2016年から2017年にかけての年末年始にインドへ行きました。
インドの前情報は、とにかく凄かった・・
カオス!!凄い国だよ!
地中に頭を埋めて逆立ちしてる人とかいるよ!
そんなバカな・・と思うような話・・
でも、誰に聞いても、似たような答えばかり・・。
日本では、絶対に見ないであろう光景に、想像は膨らむばかり。
非現実的すぎて、怖いような・・興味の方が勝るような・・・
という状況でした。
しかも、この旅の期間、旦那は鬱病を発症させてしまっていて
行くことすら迷った旅だったので、受け取るものが多くて
まさに人生観を変えた旅でした。
この旅で起きた出来事の中で、今回のテーマの
『人生が輝く瞬間』
に立ち会った時のエピソードをお話します。
このインドの旅の中で『人生が輝く瞬間』だと感じた時の状況を挙げてみると
①追い込まれた時の火事場の馬鹿力を発揮した時
②誰かの役に立てた瞬間
③生きているだけで感謝出来た時
という瞬間にキラリと光るものを感じました。
追い込まれた時の火事場の馬鹿力を発揮した時
冒頭でもお伝えした通りこの旅へ行った時の状況は
旦那が鬱病
ということもあり、行くことすら迷った旅でした。
そんなこと分かってたことじゃないの?
アホなの?○ぬの?
という声が聞こえそうですが、これには訳があるのです。
まだ、旦那が元気だった時の、2016年の夏。
私たちは3週間ほどアメリカへの旅へ行った直後
イケイケの状態でした。
そんな状態だったので、旦那も
これなら、インドも行けそうやな!!
と言って、勢いでチケットを取ってしまったのです。
その後、まさか鬱になろうとは、本人さえ思いもしなかったことです。
だから、実は、出発3日前まで、行くかどうか本気で迷いました。
だけど、かなり迷ったからこそ凄い気づきが起きたのです。
・安心安全だけど普段と変わらない日常
・かなりの挑戦だけど、確実に普段と違う環境に身を置くこと
この二通りの選択があるなと思ったのです。
そして、それは『人生の選択』もそうだなと思ったのです。
そんな訳で「行くこと」を決めました。
かなりの覚悟を決めて行った訳ですから、学びも大きいだろうとは思っていたけど、想像以上でした。
人生初のインドは・・・
噂通り、3K(汚い・臭い・怖い)でした。
鬱病中の旦那は、1日目にして諦めモード。
怖すぎる!!!もうこのホテルから一歩も出たくない!!!!
と言うのです。
ここまで来て、そんなん出来るか!!
と私。
旦那も全く使い物にならないので、私がしっかりするしかありません。
初めてのインドで私も内心ドキドキしていたのだけど
泣いても笑っても、インドに入国しちゃったし、10日間は帰れないのだから
一分一秒を大事にしたいと思い、その後の移動手段についての手配も、私がすることになりました。
こどもを不安にさせる訳にはいかないし
まずは皆の安全を守らなきゃいけないので、母ちゃん頑張りましたよ。
右も左も分からない中、皆の盾になり
そして、怖がる旦那とこども3人を連れて
デリーからハリドワールまでの電車のチケットを取りに行きました。
体感としては、4人をおんぶして出かけてる感じ(笑)
まさに火事場の馬鹿力を出した感じでした。
そして、無事に切符を購入し、その次の目的地・ハリドワールまで移動することが出来たのです。
人は追い詰められると、自分でも信じられないくらいの力を発揮します。
そして、その力を発揮した時、もの凄い達成感を感じることが出来ます。
人は自分の役割を果たすことが出来た時に喜びを感じるものです。
まさに、私はこの時、自分の人生が輝いた瞬間だったと思っています。
誰かの役に立てたと感じた時
前述した通り、この時の旦那の状況は『鬱病』
日本にいても人に会いたくないような状況で、
そんな時にインドに来ちゃったものだから、最初は本当に大変でした。
だけど、この後、旦那にも『輝く瞬間』が訪れたのです!
それが、どんな時だったかというと・・・。
どういうことか説明します。
インドに入国してすぐ、空港で、日本円をインドルピーに両替しようとしたのですが、何故か9,000円しか両替してくれなくて・・・
デリーで両替しようとしても出来なくて、結局ハリドワールに行くまで
両替するタイミングがなかったのです。
空港でも、デリー(インドでは1番の都市)でも両替出来ないのに
ハリドワールで両替出来るかも確証がない中で、とにかく銀行へ行きました。
そしたら、たらい回し。
インド人、悪気はないんだろうけど
「分からない」って全然言わないのです!!!
これがたち悪い。
あそこに行けばやってくれるよ
と、あたかも知ってるかのように違う銀行を紹介するんです!!!
そして、まんまと信じて、結局数件回っても両替出来ず・・
その時、旦那が立ち上がったのです!!!
鬱病を発症していたおかげといえば語弊がありますが
ネガティブな思考だったので、インドのことを調べた時の情報が
それはそれはネガティブなものだった旦那。
もし、騙されそうになったり、何かに困った時は
ボールペンを渡せば良いという情報を得ていた彼。
次に行った先で、両替出来るか聞いてみたところ、案の定
日本円に両替?うちではやってないよ
と言われたのですが・・
ここぞとばかりにボールペンを出してみました。
すると・・・・
裏の部屋へ連れて行かれてコッソリ両替してくれたのです!!!!
両替が出来た時の旦那の顔。
この旅での初めての笑顔でした。
ちなみにそれまでの顔。
この一件のおかげで、彼の顔に笑顔が戻りました。
彼を変えたのは「自分が誰かの役に立てた」という喜びと、ミッションクリアした喜びでした。
人は、やっぱり『役割』と『ミッション』があると輝くのだと感じた一件です。
生きているだけで感謝出来た時
大人でさえ、衝撃的なことが続いていたインドの旅。
こどもにとっては、もっと衝撃的だったようで、特に長男の衝撃たるや凄かったようです。
日本でぬくぬくと育ってきた長男。
その分、とても繊細な子だったので、インドはあまりにも過酷だったよう。
途中、ポロポロと涙を流し
もう嫌や!!帰りたい!!
と泣いた時もありました。
それもそのはず。
・そこら中に物乞いがいる
・自分より小さい子まで物乞いしてくる
・とにかくうるさい
・臭い
・手足のない人が普通にいる
・大体騙そうとしてくる
・安全に飲める水がない
・身体中、ハエがたかっていても瞑想中の人がいる
もうこれだけで、十分嫌になる要素は揃ってますね。
大人はまだ、そういう状況を楽しもうと切り替えられるけど
こどもはそういう訳にもいきません。
そんな彼にとってのインドの旅は相当な学びとなったようで
帰ってからの日記に、インドで感じたことを書いていました。
ちょっとシェアします。
歩いていたら、手がない人や足がない人と会いました。
そして、お金を下さいと言っているようで、とても一生懸命やっている気持ちが分かり、自分は足や手があって幸せだと、はじめて知りました。
と書いていました。
自分にとっての『当たり前』が『当たり前じゃないんだ』ということを肌で感じたからこその言葉かなと思います。
そして、同じ頃、国語の授業で『手のひらを太陽に』という歌の歌詞を変えてみるという授業で書いた彼の世界。
「インドネシア人だって」というのが「インド」の人のことか、昔行った「バリ」の人のことを指すのかは分かりませんが、とにかく、彼の中に
「日本人以外」にも沢山の人種がいるということを知っている言葉であることは間違いなく
私たちは「生きているから脳が働き」「生きているからご飯を食べる」という
一件『当たり前』に見えることを、彼はしっかり捉えているのだと驚いたことがありました。
そして、最後の文面の
『みんなみんな生きているんだ
向かい合っているんだ』
という言葉が1番の衝撃でした。
それぞれの生命を活かし合っているという言葉に聞こえて胸が熱くなったのを覚えています。
彼は、今でも語ります。
「生きてるだけで幸せやな」
と。
究極の答えですね。
まとめ
インドは本当に衝撃的な国でした。
まだまだカースト制度も残っているし
「生まれた運命」に逆らうことが出来ない国。
そんな国だからヨガや瞑想が盛んになったのだと思います。
今世では幸せになれないなら、来世で幸せになれるようにカルマを残さずに生きたい
という想いから、信仰が大切にされている国です。
生き方がそもそも日本人と全然違うのです。
それを考えた時に、日本という国に生まれているということの『自由』を思い知らされました。
インドでは、橋の下にテントを張って生活している人々がいました。
この人々は、インドの中でも最下位に当たる人々だそうです。
この人たちは、インターネットはおろか、新聞さえ読まない、読めない立場なんだと思う。
ということは、世界の情勢をほとんど知らないってこと。
同じ時代を生きていても、今、世界はどう動いているのかってことを知る術がないってこと。
自分の国以外にどんな国があるのかも、きっと知らない。
肌の色の違う私たちがどこから来たのか
何に乗ってきたのかも知らないのだと思うと
この世界は、同じ次元に見えて
実は幾重にも重なったレイヤーの中で
たまにその重なりを乗り越えて認識し合うのだと感じました。
人生を輝かせるために必要なこと。
それは『使命』を認識し、ミッションをこなしていくこと。
インドでの体験は、そのことを短期間で教えてくれるものとなりました。
YouTubeチャンネルでも、そのことをお話させてもらっています。
是非ご覧下さい!
チャンネル登録もお願いします。